2011年06月07日

真魚(まお)さま


『青葉まつり』も間近になってきました。。。

6月15日は御大師さまの誕生日をお祝いする日。。。
宗祖降誕会が行われます!

平安時代のはじめに日本が生んだ偉聖弘法大師(空海)によって
はじめて開かれた日本仏教の一大聖地、高野山を舞台に
毎年6月15日(曜日にかかわらず)に開催されています。。。

弘法大師は、宝亀5年(774)6月15日に讃岐の国・多度郡屏風ケ浦
で御誕生されたのです。現在の香川県善通寺市。
そんな名残から高野町と善通寺市は「歴史友好都市」として
今日も密接な関係にあります。

さて“真魚(まお)さま”とは・・・
弘法大師の幼名です。
俗名を佐伯真魚(さえき まお)様といわれたのです。

御父上・・・佐伯直田公(さえきのあたいたぎみ)。
御母上・・・玉依御前(たまよりごぜん)。
御前は、インドの聖僧が懐に入る夢を見て懐妊されたと伝えられています。
胎内に在ること十二ヶ月、金剛合掌して誕生されたとか。
幼名を真魚(まお)といい、幼少の頃、土で仏様を作り拝む姿を見て、
人々は真魚少年の賢くすぐれた様子をたたえて貴物(とうともの)と
呼び、大事に育てられたそうです。
七歳になられた真魚さまは、捨身ケ岳(シャシンガダケ)の絶壁上に立ち
「もしも、私に世の人々をお救い出来るなら、どうぞ、私の命を
お助けください。出来ないとしたら・・・仏さまにこの身をお捧げします。」と、
衆生済度の願をたて峯によじ登り、身を投じたところ、
天女に抱きかゝえられ、釈迦如来が現れて将来の大願成就を約束したそうな。
この峯は捨身ケ岳と名付けられ現在に残っているそうです。

真魚さまは、お遊びになるときも、いつも土で仏さまを作り
野の草や木で御堂を作りなおし、おまつりされていました。
また、いつも夢のなかでは蓮のお花に坐られ〜
仏さまとお話しをされていらっしゃったと云われています。。。

御大師さまに纏わるお話しは、全国各地にたくさん・・・
伝説として残っています。

2011年−774年=??? うん?!
今から・・・1237年も前にお生まれになって・・・
793年、19歳にして出家を決意された御大師さま。
そして、日本の文化と生活向上に偉大な足跡を残され・・・
承和2年(835)金剛定に入られたのは御年62歳。
今もなお、高野の山に歴史を刻まれているのですね。


posted by べっぴん❶号 at 15:49| 和歌山 ☁| 高野山の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月20日

弘法大師御廟


今夜は、第3回『お逮夜ナイト・ウォーク』が行われます。
天気は良好!
新緑の5月、冷たくも暑くもない夜風・・・
ほど良い季節になりました〜♪♪
何百年もの冬を静かに見守り続け、高野の歴史とともに奥の院で
生きてきた老樹が・・・春の顔にかわり・・・

この時期にしか感じられない新緑の香りをカラダに感じながら
今月もお大師様に手を合わせてまいります。。。

弘法大師御廟は、杉木立のなかを深く深く歩いた奥にあります。
『弘法大師御廟』は大師信仰の中心聖地 です。
各宗派の祖師のなかでも ただ御一人入定信仰を持つ“お大師様”は
今もなお あらゆる人々を救い続けておられると信じられています。。。

一千万人といわれる大師信者。
高野山には年間約120万人を数える参拝者が訪れられます。

承和2年(835)、弘法大師が大伽藍御影堂へ入定され
四十九日目の皐月の日、直弟子といわれた真如親王(しんにょ
しんのう)らが、お大師様の御遺告(ごゆいごう=※今でいう遺言)に
従い、御尊体を輿で奥の院の定窟に遷座安泰されたそうです。
定窟上には、五輪の塔とともに廟堂が建立されたことから
奥の院『弘法大師御廟』と呼ばれるようになったと云われます。
1200年近くの時を、永遠の禅定に入られたお大師様の安住の
居室として、大師信仰の中心聖地に・・・
多くの信者が心の拠り所とされているのですね。。。

未来永劫。。。
『ありがたや高野の山の岩陰に 大師は今もおわしますなる』 。。。
月に一度の良い機会(お逮夜参り)をいただき
今晩も御廟へ お逮夜参りに参加してきます!



posted by べっぴん❶号 at 12:47| 和歌山 ☀| 高野山の歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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